ぼんやり

通勤電車の中でかくブログだった。

転職の本を読んで。

 図書館から借りてきた本を読んだ。転職に関する本。転職するか、起業するか、そのままいるか。色々かいてあるんだけど、前提がお金をたくさんもらおう、出世しよう、仕事はやりがいがある、ということだった。転職本を書いている人は、人材コンサル屋か、会社変わってうまくいったぞ自慢か、自営になったので営業ツールにしたいか、が多い気がする。

 ほとんど流して短時間で読み終わった。参考にならないなと思う気分。きっと転職というものは手段の一つであって、根本に納得感がないからだ。出世したいわけでも金持ちになりたいわけでもない。ただ楽して静かに暮らしたいだけだ。自分は何に悩んでいるのだろうか。あぁこれだというものはきっとない。求めても求めてもきっと満足できるという状態にはならない。刺激を受けたいというのが人間で、刺激がなければ刺激を求めるだけなのだ。

 自覚してコントロールしていないと感情的に判断して後悔することになりそうだ。色々な人をみてきたからよく分かる。でも、その後悔があること自体、素晴らしいことなのかもしれないのだけど。

 こんなこと考えていないで身体を動かして掃除でもしよう。考えることは毒にもなる。そしてここに吐き出しておく。

人と話すとき。

 午前、外へ出て日向ぼっこしながら散歩した。天気予報によると北海道はマイナスで沖縄は22度だった。気軽に気温差を味わえたらよいのに。

 人とのコミュニケーションについて散歩しながら考えていた。

  • 話すとき

自分のことはできる限り話さないようにする。相手はききたがっていないから。こちらのいいたいことは相手はききたくない、のを前提で話す。人って他人に興味ないんだよね。自分のことはきいてほしいのに。

  • きくとき

必要な情報だけ頭に入れて、あとはきき流すこと。ただでさえたくさんの情報が溢れているので捨てないと疲れる。

  • 質問でのやり取り

正確に言葉を捉え最低限の回答をする。間を開けて逆に質問する。少しの的確な回答と質問で自分の話はしない。

 

これらに気をつければそれなりにうまくやれるだろう。

暗い気分。

 ジムへいくか迷っている。ジムから感染したらしい。この先どうなるのか。出かける人が減っていくのだろうか。

 スーパーへ行く途中にマンションのオープンハウスの立て看板をみた。特別価格で数百万円引きとの記載。中古マンションも売れていないようだ。スーパーではマスクが売っていない。いま一番売れているのはマスク。

 体重がなかなか落ちなくなってきた。チョコレートは食べなくなった。筋トレをしようと思いつき、youtubeで筋トレを教えてくれる動画をみながらやってみた。これならできそうなので毎日、やっていこう。

豊かなのか。

 朝からだらだらラジオをきいている。スマホでネットの海をあさる。このように過ごすとよいとか、おかねはこうしたらよいとかいっている人たちと、興味がある具体的なことを発信している人たちに分かれるみたいだ。具体的なことを発信している人たちは楽しそう。生き方みたいな概念を発信している人たちは、つらく見える。たぶん、なにもないからだ。

 何かに興味を持ってやり続けることができたらなと思う。でも大部分の人はないのかもなとも思う。人の心は自然にもっともっとと求めてしまう仕組みになっていて満足することは一瞬だ。目標を決めて走って到着しても何もなかったみたいなことが起こる。

 色々なものに縛られているけど、縛りがなくなったらどうなるのだろう。結局、苦しさが襲ってくるのだろうか。

 日々の苦しさを紛らわすものはたくさんあった方がよいなと思う。

 雑誌の読み放題を使ってみた。少しの間、没頭して読んでいた。何かストレスのようなものが少し抜けた。でも継続して読み続けるだろうか?飽きてきて、そして本を読んで、また飽きてきて、テレビを見て、飽きてきて、の繰り返し。デジタル化されて時間がつぶせるコンテンツが安くなっていて、簡単に手に入るようになっていて、ただそれで人生の最後までつぶしていけるのだろうか。

不安が増していく。

 午前ジムと図書館へ。コロナが気になるけど運動をして、免疫を高めよう。どうしようもない気がしている。

 きっと不景気がそこまで迫っている。クーポンや宣伝メールが多くなっている。かつて泊まったホテルからクーポンが突然送られてきたりする。外に出る人も減っているのだろう。ウイルスもあるけど去年起きた台風は、今年も同じ傾向なのだろうか。気候変動が大きくなっている。生活に不安を持つ人が増えれば、赤字になる企業が増えるのではないだろうか。不景気がやってきそうだ。不安が増していく。不安が増していく。

 

会社の政治。

 少しだけ早起き。はやく寝たのでたくさん寝ることができた。寝床でごろごろ。

 いまの会社はロジカルなことが通じないことがよくある。ある時期には政治的に強くなり威張ってた人が、ある時期には不遇になる。暗黙の派閥のようなものがある。実力や実績には関係がない。すでに仕組みができあがっている会社特有のもの。利益をあげることに必死な会社では政治は利益の前に消し飛んでしまう。政治があるのは余裕があるということだ。

 ある時期に優遇された人がある時期には干される。しばしばみているパターンである。優遇されている時期に勘違いすると痛いしっぺ返し。周りはよく見ている。やっぱり思うのは、勘違いしないことが大切。

  • どんな時も自分は特別と思わないこと。
  • 事実ベースで話をすること。
  • 人の悪口を言わないこと。
  • 人を区別しないこと。
  • どんな人とも等距離にすること。

大企業って怖いなと思う。

人に依存している人。

 明日は休みで三連休。今週も疲れた。

仕事ができない周りに依存してきた人がいる。お偉方が変わった時に見破られ短期間で違う仕事にまわされていく。過去、威張っていてさぼっていた。時間が経つにつれ中身がないことが暴露されてしまう。干され気味である。そんな人にどう対応するか。

 他人には丁寧に公平に対応したい。ただ淡々と事実をいう。感情や思いは排除しておく。いやだと思ったことは事実を伝える。等間隔での距離を置く。最低限の対応。最低限だけど冷たくはしない。上からものをいいたくなるけどいわない。相手のことを知らない前提で対応する。

お金は幻想。

 2年ほど前に株式の大部分を売却し投資については何もしなくなった。最近になって証券口座に残っている株を確認、上がっている株、下がっている株、まちまち。あんなに下がっていた株が上がっていたり、調子がよかった株が下がっていたり、時間の経過を感じる。ドル建てにしているものもあって外貨MMFETFやらがあるけど放置している。これらは過去の残骸だ。なんだか色々やってみていた昔の興味が嘘のようだ。

 ふと、なんとなくだけどNISAを積み立てNISAに変更し、インデックスファンドを毎日買ってみようかなと思った。

 投資でお金を増やしても、数字が増えるだけ、うまくいかなくても数字が減るだけ。生活はなにも変わらない。増えたらお金を使う?減ったらお金を節約する?なにも変わらない。お金は幻想でしかない。

昼休みの日向ぼっこ。

 昼休み。いつものところで日向ぼっこ。日々、太陽の傾きが変わっている。少しずつ日が長くなっていくのを感じる。

 午前はずっと会議だった。色々な資料や議題が話されるけど興味はあいかわらずない。興味はなくても仕事はできるしなんとなく時間は過ぎていく。やっぱり興味はなくても働くことはできるのだ。

仕事について思うこと。

 早く寝たので早く目が覚めた。昨日の夜は図書館から借りた本を読みながら眠くなってそのまま寝たのだった。

 年度末に近くなると仕事の量が増える。嫌だなと思う。ただ並べて1個ずつ淡々とこなしていく。あいまいな仕事が多いので具体化していくのが面倒くさい。このあたりが価値なのでお金をもらえるのだろうけど。

 転職について考えたり本を読んだり過去のことを思い返してみると、やっぱり仕事にはたいした意味がないことに気づく。あれをやってきた、これをやっている、なんてことは過去の話であるし、やったからといっても時間は過ぎて歳をとってやがては死ぬ。中年になって知り合いで転職した人たちは、認めてもらいたい欲が強い人ばかりだったなと思う。若い頃は合う仕事が分からないこともあって試行錯誤で転職するのはやむをえないけど、中高年になってから転職するのはやはりリスクが大きいのをみていて思う。

 雑用の仕事ばかりでもう早期退職しようかと思っているという話をきいた。雑用の仕事はとても楽そうだ。それでやめようと思っているのはなぜかというと、雑用ではないなにか立派な仕事を自分はやるべきである、自分は雑用なんかやる必要はないというプライドがあるからだと思う。プライド、自分は特別、もっとすごい、有名になりたい、このあたりの欲望から衝動的に行動する人がいるように見受けられる。

 人生も後半戦であってそれほど働く期間もなくなってきており、淡々と働きたい。年金では不足とか人生100年時代とかいわれるけど、こどもが一人前になれば、あとは細々と暮らせば良いと思う。

 自分は特別、会社への批判、組織、愚痴、他人への期待、そんなものからは出来る限り離れたい。

花形企業。

 昼休み。外で日向ぼっこ。

大学の頃の知り合いが、その頃花形だった有名な会社に入った。その会社に入った知り合いは二人だった。花形だったけど時間が経過し子会社となって親会社とは切り離され、出向になり、別の資本がはいって、そのまま独立した会社となった。そして不景気になったときに倒産寸前となり、その頃に1人から連絡があり、会った。その人は要領が悪く転職活動をしたけど、採用されないので退職もできないと。どうしたらよいか悩んでいた。もう1人は要領がよく転職したとのこと。さらに時間が流れ、その会社は倒産せずに生き残った。毎年、年賀状には大変だと書いてある。

 でも生き残っている。それは要領が悪いといえるのだろうか。先なんてどうなるか分からないものだと思う。

長く働くためには。

仕事には嫌なこともある。他人から愚痴を言われ嫌なことが言語化され、認識することで、嫌な感情が加速していないだろうか。悪い影響を与えてくる他人とは関係をできるだけ絶っていこう。

  • 他人の愚痴をきかない、いわない。
  • 他人に期待しない。
  • 自分の中の感情を周りにださない。
  • 自尊心が高い人の言い分を受け流す。
  • 自分は自分、人は人と割り切る。
  • 環境が悪くても保留し変化を待つ。
  • やる気はなくてもいい。
  • 負のパワーを変化へ向けない。
  • 未来は不確定、将来を考えすぎない。
  • いまやるべきことを淡々とこなす。
  • 何者でもない自分を受け入れる。
  • 周囲にストレスを与えない。
  • 自分だけ有利になるようにしない。
  • 出世、評価欲を持たない。
  • 自分が特別だと思わない。
  • 人間関係には深入りせずだれとでも公平な距離をたもつ。
  • 嫌なことを全部含んでお金がもらえると認識する。
  • 感情の上下に気づいたら気を紛らわす。
  • 転職したと思ってお金を使う。
  • 疲れたら少し長めに休む。やめるよりまし。

 

転職について。

 午前ジムと図書館へ。コロナが気になるけど淡々とランニング。この数年、転職について考えており、さらに声がかかることもある。調べていくと人材不足のため紹介制を採用している会社が多くなっているようだ。紹介した人にも金一封。転職仲介業者を通して募集すると手数料がかなりの額かかるため社内の紹介制が多くなっているのだ。紹介制もノルマがある会社があるようなので、知り合いだからといって簡単には信用できないのが世の中。

 転職について後悔しているブログをいくつか読んでいる。共通しているのは、不満が発生した後に、自分は特別だから他でもやれるという認識だ。自分のまわりを見渡せば、不満から転職していった人は多い。評価されない会社への不満。上司が仕事できない不満。ここでよく考える必要がある。評価されないからって給料はもらえてない?上司が仕事できないからといってその上の上司はどうみてる?評価されるとなにがよい?出世するとさらにその上の上司からもっと詰められない?

 転職はやっぱりかなりのリスクを伴う。できるならば同じところに長く勤める方がよいのだ。これからは100年時代やら、キャリアアップやら、フリーランサー増えてるやら、年金2000万必要やら、個人として生きるやら、次から次へと煽る宣伝とニュース。

 もし転職をしたくなった時には、客観的に考察する。文章にして、メリット、デメリットを、書き出し、冷静に眺めてみる。一時の感情ではないか?半年以上時間を置く。過去を振り返れば、嫌な状況というのは、半年は続かない。どこかで反転して上昇しだすし、よいことばかりもないけど、悪いことばかりではないからだ。

 

 

不安な気分。

 ユニクロに久しぶりに行った。そろそろ冬物が安くなるからだ。セルフレジになっていて驚いた。仕事がなくなっていくのを身近に感じた。スーパーは人が少ない。2月だからというのもあるだろうけど新型コロナについてかなり心配している。心配性だからとても怖い。怖いからといって外にでなくなると何もできなくなる。手洗いは欠かさないようにしよう。

 スーパーではいよいよ不景気に突入しそうな気配を感じた。鉄鋼会社の赤字をニュースで見た。消費税の値上げの後、さらにウイルス蔓延。当分、贅沢品への消費意欲は大きく後退するだろう。まわりまわって景気後退につながる。気候変動による台風も心配だ。帰りにマンションのオープンハウスの呼び込みをみた。マンションは売れているのだろうか。アベノミクス以降の金融緩和によってマンションが多く売れた。住宅ローン金利低下によって売れたマンション、不景気になると住宅ローンは途端に重しになる。不景気の時代には住宅ローン破産についての特集をよくみかけた。先行きに不安が予想されるときには、現状維持と保留する態度を心がけ大きな判断はしない。

 心配性だからなのか先行きを楽観できない。人より過敏で不安な性格は仕方ないなと思う。

懐かしさはどこからくるのだろう。

 出張場所の近くに知っているところがあったので寄ってみたところ、すでになかった。少しだけ懐かしく思ったのだけど、さらに懐かしいことを思い出した。

 何年か前に、学生の頃アルバイトしていた会社の近くを訪れる機会があって探したことがある。探してみたけど結局見つからなかった。歩いたみたら、なんとなく通っていた道を思い出したのだけど、建物が見つからなかった。建物の名前は覚えていたのでmapから検索してみたけど見つからない。もやもやした感じが残った。さらにその近くによく行っていた場所があり、そこまで歩いてみた。見覚えがない建物が多い。でもなんとなく思い出して、あ、この道の曲がり方、覚えている、この先にあるはずと歩いてみつかったものは、大きなパーキングだった。もうなかったのだった。あの頃。お金がなくて、苦労していたなと思い出し、お世話になった人、いまなにをしているのだろう。そのまま就職しないかと誘ってくれていた会社だった。この懐かしさはどこからくるのだろう。

 時間は戻せない事実とあいまいな記憶から懐かしさがやってくるのだろうか。ネットで過去が明確な情報として残っていたらこのような懐かしさはなくなるのだろうか。

 いま過ごしている何気ない生活もいつか懐かしさに変わるのだろう。