ぼんやり

通勤電車の中でかくブログだった。

鬱な気分。

最近ネガティブだ。ぐるぐる考えてしまう。この先どうなるのか。不安になる。冷静にみれば先のことなんて分からない。でも不安になる。不安になって何回も同じようなことを考えていてどんどん悪い方向にいく。これは運動不足ではないだろうかと思い、久しぶりに朝から軽いジョギングにでた。数時間ネガティブな気分が消えていたがまたネガティブになってきた。体調を崩してから運動不足がかなり溜まっていたようなので、歯車を動かすように最初は大変だけど勢いがつくまでがんばろう。運動でネガティブな気分が消えていくことだろう。

停滞感。

ブログを書きたいと思わない。それほど不満がないからだろう。いろいろなことを知って社会に憤る人がいていつも文句を言っているのだけど何も変わらないと思って見ている。人のことは気にしないし関心がない。たまに特定分野のことを知りたいという欲が起こって、本をたくさん借りてきて読む。この繰り返しになっている。仕事のために勉強することはほぼないといっていい。停滞感があるけど、それでいい。

ようやく休み。

あしたは休みだ。ようやく体調も回復傾向にある。暑くなってきたので衣替えをせねばなるまい。

ただすごす一日。

午前は寝坊し図書館へいってから、すこし買い物をして、夕方からラジオをききながら寝て、ご飯をたくさん食べた。太り気味であるからダイエットしていたけどたくさん食べるようにしている。体調が完全にならずやる気もないからせめて食べたいものはたくさん食べようと思う。

本屋へいかなかった。

帰りに本屋にいこうと思い浮かんだ。でも図書館で借りた方が気楽だし、と思い本屋にいくのをやめた。ネットの文字を読みすぎて疲れているのか。本は毎月のように新刊がでていて、売れているのだろうか。書いて読んでもらいたい人ばかり増えている気がする。新しくなくてもすこし古くてもよいものを読みたい。

黄昏時の帰宅電車。

仕事が終わり電車で帰る黄昏時。まだ明るいうちに帰ることができる。電車からの景色は明るさと暗さが混じって不思議な気分になる。特に何もないけどこれが幸せってものかもしれないと思う。若い頃は深夜まで働いた時もある。なぜ深夜まで働いていたのだろう。会社に入った時、周りが張り切る人間ばかりだった。なぜ最初の会社に採用されたのかよくわからないが、まわりの人間の考え方に少しずつ毒されていたのだろう。昔、夜中に同期から電話がかかってきて働くことについて語られたり、風邪で熱気味だったのに会社のことについて話したいと呼びだされたりした。今頃、あの頃の同期たちは何をやってるのだろう。黄昏時の電車の中から思い出し、でも結局みんな年をとって死んでいく存在だから、人のことなんてどうでもよいなと思い帰ってきた。

サラリーマンのメリット。

いまだに体調が完全には戻らずやる気がない。やる気がないけど会社にいっていつものパフォーマンスよりも劣る仕事をして帰る。それでも給料はもらえる。サラリーマンというのはメリットも大きいのだ。

思い出にかえる。

数年前によくきていた場所にいる。あの頃はいまより欲があったと思う。いまなにもなく、成し遂げたこともなく、ただ懐かしむ。いかに立派だろうが平凡だろうが時が過ぎれば思い出になる。

企業の仕事。

無駄が消えていき必要な人が減る。100円ショップ、中古屋、個人取引、製造すべき物の量が減っていく。みんなが欲しがるイノベーションという名前の創造は、簡単にできるものではない。果たしてこれからどうなるのか。例えば、

1) 大企業の製造ラインでケーキのスポンジを作る。

2) 小さなケーキ屋で色々なケーキを作る。

どちらを目指すべきか。サラリーマンとしては、いままでは1)が安定しており2)は不安定な企業であった。1)が不安定となったとき、労働者としての優位性はあるのだろうか。

体調が悪い状態が続く。

まだ体調が悪い。思い返せば昔からだ。健康な人と比較すればハンデである。体調が悪い時、ネガティブな気分になり、昔を思い出し、あーすればよかったとか、こーすればよかったとか。なかなか頑張ることができないのは身体が強くないからというのもあるだろう。でも仕方がない、受け入れるしかない。できることをやるしかない。結局、連休はほとんどなにもやっていない。でも万事塞翁が馬である。あとから考えれば、よかったんじゃないかってことよくある。いいことあるよ、こーすればよいよ、もっとやれるよ、周りからの誘い。身体が強くないことに自覚がなかった頃からさえ、なんとなくわかっていて、負担にならないようなことを選択してきている。誘惑にはのらなかったのだ。人には人の都合というものがそれぞれの人の中にきっとある。

ブログを読んだ。

投資関係のブログを読んでいた。資産の話、株式の話、いくらになっていて、みたいな報告。毎日更新されている。夢中になれるものがあるのは羨ましいと思う。

病院へいったあと。

病院へいって、薬を出された。よく休んで治そう。健康になったらあまりやっていなかった運動を増やそうと思う。休みになり、やることを書き出していたらたくさんあって、できることからやっている。全部やろうと思わずに簡単なものから手をつけたらそれで良いとしている。しっかりはやくとか思うと結局一歩も進んでいなかったことが多いからだ。あとはやろうと思ったことには必要な費用はかけようと思う。ケチだから考えすぎてやる前から疲れてしまっていたからだ。適度にわからないなりにもやってみると、意外に進んだりして時間も過ぎている。これでいいのではと思う。

高い目標を持たない。

休みだけどなにもやる気が起きない。ただ時間が過ぎていく。それでもいいかなと思う。会社へいって働いているだけで充分だ。昔からやる気がなく頑張ろうとしても頑張れないし、頑張る場所にいたくないから逃げている。人からどう見られているか、どう思われているか、歳をとるにつれますますどうでもよくなってきている。でも、ここまでは最低でもやろうとか、サボっているひとはだめだとか、まだたまに思う。でもそれさえも手放そう。毎日会社へいって働いて帰ってくることを繰り返している、これだけでも大変なこと。よりよくとか、もっとできるとか、もっと勉強とかを目標にするととても辛くなる。毎日会社へ行った、それだけでよくやったと思おう。

テキストだらけで疲れる。

休みで暇になった。図書館へ行って本を借りてきて数冊読んだ。そのあとスマホで色々見ていたらいくらでもテキストが出てくるし書き手がいる。もうテキストの洪水といってもいい。テキストを書くというのは、お金を得るために書いているのか、伝えるということが人間の根源の欲なのか。テキストだらけで頭がおかしくなりそうだ。テキストを読むのを制限しないと疲れてしまう。