ぼんやり

通勤電車の中でかくブログ

ブログと広告の溢れ。

20年前はhtmlをサーバにアップしてという敷居が高くマニアの世界、10年前にiphoneが出現しスマホの発展、5年前にはwebに広告をはることでお金になることが広がりだし、いまはブログに広告ははることで儲かるということが一般的になり、似たようなブログと広告が溢れた。まるで都会を歩いているように見たくもない広告だらけだ。

1年以上継続してるブログはあまりない。

たまにみるブログがある。でも1年越えてくると更新されなくなるブログがとても多く人間というものが垣間見えて興味深い。一方で10年以上更新されているブログもあって、たまに発見すると初期の文章も読んでしまう。ブログという名前で、よばれだしたのは、いつの頃からだろうか。

ブログを読む趣味。

お気に入りのブログをパトロール。小説家や、ノンフィクションライターのブログを毎日パトロールする。

たまにブログで面白いものを発見すると嬉しくなる。最近では海外でパン屋をやってる人のブログを読んだ。どうやってパン屋になったのか、なにをやってきたのかが興味深い。なにもなしていないから、なにかをなした人の文章はとても面白いと思うのだ。

春まで。

余分なことに欲を出さず、淡々と過ごす。健康に気を付けて、体調を整え、たまに休憩し、いつもご機嫌でいること、丁寧に話すことです。

ラストスパートはしない。

散歩でだらだら走っている。目標地点を決めて、あそこまでは走ろう。目標地点が近づくともう少しとなるけど、ラストスパートはしない。ただ同じペースで辿り着く。仕事などでも目標地点間近だとしてもペースは変えない。ラストスパートした後予想してなかったことが起きたり、目標自体ずれていること、がよくある。ラストスパートしてエネルギーを使ってしまうと反動で動けなくなる。ただ同じペースを心がけている。

暇をつぶすのは難しい。

きっと暇をつくるより暇をつぶすほうが難しい。人からきいたり本を読んだり過去の経験から、自分が何を欲しているのかを忘れないようにしていたい。

自由すぎる不自由。

何もやることがなく朝から晩までテレビをみて夜更かしして寝坊してまたテレビをみての繰り返し。何も変化がないということはつらい。自由になると幸せになると思っていたけど、自由すぎるとおかしくなる気がする。毎日やることがあって周りから嫌なことも良いことも刺激がある日々のがよいのかもしれないなと思う。

お金への執着。

お金があっても使うことに恐怖があって使えない。お金を増やしても何に使えばよいのかわからない。でもお金が気になる。株高ときけば持っている株価が気になる。気にしても何も変わらない、お金が増えても何も変わらないのに。

投資の広告が増えたのは景気がよいから?

テレビのニュースで景気がよくなっているという報道。雰囲気は大切でよくなっていると思えば消費も増えてよくなるのだろう。最近、ネットが発達したせいもあるのか、投資についての広告や情報が多くなっている気がする。景気がよいときに煽られず働いてお金を貯めておき、景気が悪くなりだれも投資に興味がなくなったときに投資をするのが良いように思う。

ものよりおもいで。

 不景気の頃、旅行によくいった。旅行会社のパックになっているもので、割引とクーポンがたくさんついているもの。かなりのお得感があった。でも、この数年はクーポンのようなお得感を感じるものはなくなったように思う。景気がよくなり旅行にお金をかける人が増えてお得感を出さなくてもよくなったのか。たくさん旅行にいった記憶は残っており思いだすと幸せを感じる。物より思い出だと思う。

ことばにすること。

言語化することで理解が深まる。言語化しないと感情に巻き込まれぐるぐる回ってしまう。うまくいかない時には、少し立ち止まって冷静に言語化してみるといい。

サラリーマン。

 悪い時もあるが良い時もある職場。嫌だなと思う時も多い。仕事というのは、人がやりたくないことを少し我慢してやることでお金と交換することであって、仕事には人の感情、嫌らしさが混じり合う。ただ淡々と受け止めて、詰め将棋のように仕事をする。怒らず感情的にならず、疲れたときには早めに休憩し、少しの楽しみを。

休み明けは筋肉痛。

とうとう休みは今日まで。少し長めの休みがあると明けてから筋肉痛になる。子供の頃、夏休みが明けて登校して帰ってくると筋肉痛になっていた。中学、高校でさえも。社会人になってからも筋肉痛になるのでいまだに変わらない。

だらだら教と頑張れ教。

 

正月のTVをだらだらしながらみる。通信講座のCMが流れている。年初めに何かやろうと思う人が多いのだろう。振り返れば、子供の頃通信講座で学習、会社の制度で通信講座で学習、すべてやり遂げたことはない。資格も車の免許程度である。何か資格取得でやり遂げた感を得たいとも思ってたことはあるがやり終えられない。心底望んでないからやり終えられないし、すべてが中途半端になるのだろう。新年だからといって目標をたてるわけでもなく、毎年ただなんとなくテレビをみて時間が過ぎていく。正月ぐらいだらだらしてもいいというが、正月に限っていない。何かをやろうという時には何かが起こってやらざるを得ない状態になってるわけで、何もなければもうだらだらいくだけなのだ。それでもなんとかなっているから、やはりだらだらがつづく。社会人になった時に頑張れ頑張れ教に洗脳されたわけだが、若い頃は少し罪悪感があったけど結局いまもだらだらしている。なんとなく、だらだらしていてもなんとかなってしまうから変わらないし変わらなくてもいいのではと途中から思っているのだ。

長く続いてるお店の理由。

散歩していると、潰れてしまうお店、長くやっているお店を見かける。繁盛してるように見えても潰れてしまうお店たち。一方、長くやっている過剰品質なお店は利益あるのかなと心配になる。でも元々資産家でお金を持っており、持ち出しでお店を趣味でやっていたりするのだ。そんな話は誰も表立ってはしないから、いかにもやり手ですってな顔をしている。利益を出さないとお店を存続できないという考えが思い込みであるからやり手だなあって思ってしまうのだ。