ぼんやり

通勤電車の中でかくブログだった。

頑張れない。

 仕事の勉強用に雑誌を買っている。定期購読で昔から読んでいるのが1冊。これは仕事中でもたまに読んでいるし興味もあるから読み続けられている。さらに少し前に勉強意欲が出たので関連する分野の2冊を追加して買ってみた。さて、今に至って。積まれたままだ。読んだ方がいいのにと思いながら読んでいない。なぜだろう。

 実は内容に興味がない、いまやっていることに直接関係がない、1冊読んでいるだけで情報が多くて疲れる、が思いつくところ。色々やろうと思うけどやりきれないし、頑張れないのは昔からである。

 そんなに頑張らなくてもいいんだよなあ。

理想のゴロゴロ。

子供の頃、布団でゴロゴロしているのが好きだった。未来、ゴロゴロしながら漫画やテレビや映画が見られたら、なんてよいのだろうと天井を見ながらいつも考えていた。漫画を買いに行ったり、映画のレンタルにいくのがめんどくさかったのだ。

そしていまスマホで漫画、映画が見られる。本当に現実になってしまった。と電子書籍で漫画を読んでいたら子供の頃に考えていたことをなぜか思い出した。

漫画読み放題はつらい。

漫画をたくさん読めるというサービスがある。お試しで使ってみたのだけど、やめた。選択肢がたくさんあるとどれを読んだら良いのかわからなくなる。読む時間と楽しさを比較してしまい、効果が高いのはどれだろうと考えてしまうからだ。結局、読みたい漫画が見つかったらお金を出して読む、読まなくてもなにも変わらないしと思い至った。

いまさら思う。

むかし先輩が夢中になってたことをいまさら、なるほどと思うことがある。

 先輩の夢中になっていたことを知っていたのはなぜなのか?言いたがりで周りに話をしていたからだ。いま同じようなことをやっているのだけど、わざわざ人に話すことはないし内に秘めていいなと思うだけだ。

競争したくない。

競争を避けるためには、競争する人数を減らすこと。まだ誰も知らない新しいことをやるか、人が見向きもしないこと、人気がないこと、古いことをやるかになる。相対的に競争にならない領域がないか常に周りを見ている。

田舎暮らしと本。

田舎暮らしに殺されない法という本を図書館から借りて読んでみた。流れるような辛辣な文章。そして一文が長い。

 世の中は宣伝のために悪い情報は流れないが、流れない悪い方面の情報が書いてある本。田舎出身者としては田舎暮らしはオススメできない。都会でしか暮らしたことがない人にとっては田舎が理想に思えるのだろうか。

 このような宣伝ではよいことばかり、でも実態は違うということが書いてある本が読みたい。

暇な仕事。

 昔の知り合いに会う機会があった。共通の話題は仕事についてだった。話しているうちに環境が変わりつつあるため仕事が少なくなっており暇で仕方ない、ここにいてもなにも身に付かない、違う仕事に変わりたいとのこと。

 仕事というのは忙しすぎても暇すぎても苦痛なのだ。どちらがよいのだろうか。

調子にのらないように。

  • 人が困っていることを自分ができる範囲で解決します。
  • 人の話を思い込みなしで謙虚に最後までよくききます。
  • 感情的にならないように丁寧に話します。
  • 他人の悪口をいいません。

転職への興味と学び。

 若い頃はやってみたいことがあり、さらに無知だったので会社を変えることができた。なにも考えずただやってみたいという思いだけがあった。

 いまはやりたいことはないが毎日に飽きている。転職で飽きている毎日が変わるだろうか。

 転職本や働くことについての本を図書館で借りて大量に流し読みした。転職に関わる仕事の裏側、お金の流れ、会社にとっての中途採用とは何か、働き方の世の中の動向、働くとはどーゆうことなのか、など関連することを学んだ。学んだところで満足した。

 学んだ結果、転職する時はリストラや病気などやむを得ない事情の時にするのだなという認識に傾いた。やりたいこともないし、他の会社へいってもそんなに変わらないのでは。変わらないというのは、どこにでも嫌なことはあるのだと思ったからだ。嫌なことには目がいきやすいが、良いことにも目を向けて一歩引いて考える必要がある。現状でいけるならば、いけるところまで保留でいい。働いている期間はお金も得られる。

 でもやむを得ない時には備えておこうと再認識した。日々の仕事で学べることは関連することを広めに学んでおく。災害対策みたいなものですね。

エッセイが好きだ。

図書館へ行ってエッセイを借りてきた。なんてことはない日常。日常こそが面白く、そして捉え方、見方によって楽しく過ごせる。そんなエッセイが好きで、読むと楽しく日々過ごしていけるようだ。

静かに暮らしたい。

家族で地味な暮らしをしたい。ただ静かに暮らしたい。人には注目されたくない。人との交流は最小限にしたい。そんな職業を望んでいたけど、何がどう間違ったのか、ずれてしまって長い年月かけて修正してきた。まだ修正を繰り返しているがどこまでいけるだろう。威張ったり、バカにしたり、嘘をつき蹴落とす人間をみてきた。人間が集まると綺麗事ではすまない。どーでもよい他人との競争、仕事漬けにして自己愛を高めさせて最終的に利益を出すところが会社なのだ。

好きなことをしてもお金にならない。

好きなことをしてお金につながればいいけど、だらだらするのが好きなことだから、仕事にはならない。やりたいともいえない仕事をしてお金をもらって、美味しいものを食べる。それでいいかな。

NISA口座数の下方修正から。

少し前にNISA口座数の統計が間違っており、下方修正されたニュースが流れていた。やはり投資にはお金が流れにくい。それはそーだなと思った。投資でお金が増えるのであれば、銀行や国が自ら投資へ資金を回せばよい。増えるか分からない、つまり減る可能性もかなりあるからこそ、わざわざ国民がリスクをとりやすくなる回りくどい制度づくりや銀行は投資信託の手数料を狙った営業方針になるわけだ。つまり買う側にリスクを押し付けたい。国民は良くもないが悪くもない、それなりに賢い選択をしていると感じる。

 投資でお金を増やすことよりもお金を何に使うべきなのかの教育の方が不足してると思うのだけど。

投資の広告。

一見広告には見えない、お金持ちになるには、老後に備えるには、読んでいくと投資しようという結論。景気が良くなると同じような広告が目につくようになる。なぜ投資につながるのか。誰にでも届く広告は、誰かが儲けるためにお金を出して広告を出している。投資を行う時の手数料を得るための広告。不動産、株式、投資信託、すべて手数料が必要。儲かるのは、不動産会社、証券会社、ファンド。投資信託を持ち続ければ常に手数料が取られ続ける。欲と不安を煽ってお金を出させるというビジネスモデルですね。