ぼんやり

通勤電車の中でかくブログだった。

仲が良い友人はほぼいない。

 スマホにてアプリを消したことから連絡も簡単には取れないようになって、ニュースやツイッターのような余分な情報も閲覧しないようになってしばらくたつ。運動するようにしているからなのか、余分な情報を絶っているからなのか分からないけど不思議と落ち着いた感じになっている。これが元々の性格なのかもしれない。いつも端っこで目立たないことを好んでいたのが子供の頃。大人になるにつれ社会的な思い込みに縛られ、世の中の大多数の人が目指すような情報がネットから溢れ影響されていたのかもしれない。

 仲が良い友人はほぼいない。いままでうまく距離感がとれていなかったように感じる。適度に離れた距離感が自分には合っている。友人は数年に1回程度会うか会わないかという関係が心地よいし続くことが多い。あまりに近くなると依存してしまう関係になり愚痴や文句ばかりになる。影響されやすいから心がネガティブに反応するのだ。人とは距離を置いて付き合うのが自分にはあっている。一人で何かをやって楽しむのが好きだし、楽しめるのも能力なんだと最近になってよく分かってきた。

どうでもよくなっている。

 プールへ行ってきた。会議とデスクワークばかりだから運動してストレスを発散する。いままでは体力もなく休みの日の昼寝で回復していた。今はジムとプールを継続しつつある。

 仕事は効率を求めているのかと思えばそうでもない面も多い。周りは一生懸命にあーでもない、こーでもないとなっている。こういってくれとか、これは正しくないとか。ただやっぱり心の底からどうでもよいなと思ってしまう。だめな方向にいくのが見えていても、わざわざ細かな指摘はしない。もちろん、意見を求められたらいうけど、わざわざ積極的にいかなくてもいい。みえていない別のことが要因にある可能性だってある。

 それよりも自分が優先すべきは健康だ。朝の通勤電車で観察するとお腹がでていない人もいる。どうも会社の人たちにおなかが出ている人の割合が多いように感じていて、ずっと体調が悪い人、大病になった人、メンタルがやられて短時間勤務になった人、健康を崩している人たちがあまりに多い。いまはとにかく運動量を増やして贅肉をとって健康になるつもり。健康でさえあれば会社を変わる障壁も低くなる気がしている。運動していると、冷静さと落ち着きが鋭くなり、まさにどうでもよくなっている。嫌なら会社変わろうと思いながら働いているので、守ろうという気持ちがなくなってしまったのだ。周りとの考え方の差を感じるときが増えている。

あれもこれも話さない。

 きかれたことに対して正確に答える。あれもこれも話をしない。できる限り話をしないで過ごす。人はアピールでやったことをいいたくなるようだ。そんなもの言わなくてもいい。連休明け、やる気がすでに売り切れている。仕事について、何かを成し遂げたいとか、やりたいことも期待もない。ただ淡々と時間を過ごしはやく帰りたいなと思う昼休み。

少しずつの積み重ね。

 いまの仕事は多くのものが平行して進むもので、日々細かく切り替えながら進めないとうまくいかないものだ。仕事なので仕方ないけどプライベートの時間でも多くのことを平行してやろうとするから疲れてうまくいかないことが多かった。

  • なれるまでは物足りない程度にする
  • なれたら少しだけレベルを上げる
  • 目標は持たない
  • できなくてもなんてことはない
  • 多くのことを一度にやらない

とすると継続できるしうまくいきそう。いま運動量を増やしていて、苦にならないように手抜きでやっている。だらだらやっているとまだいけそうかなというときがくる。体調がよかったり、自覚していないけど体力がついてきたりしている時だ。その時に少しだけ長く回数を増やしてみてたいしたことがなければ、次の時にもやってみる。その繰り返し。無理をせずにとにかく繰り返すだけ。

ベンチャーへの転職について。

 朝、起きて寝床でだらだら。

 少し前から他の会社に誘われたりベンチャー企業はどうかといわれている。インターネットで調べたら、同じような情報ばかりでてくる。一人で判断しないで転職エージェントに相談しようという結論になるサイトばかり。アフリエイトでしょうね、これは。有用な情報というのは、それなりの個人がかいている情報なんだけどキーワードをうまく入れないと出てこない。同じパターンで不安を煽りアフリエイトへ誘導するものばかりだ。つまらないインターネット。アフリエイトも知れ渡っているので儲からなくなっているだろうなと思う。

 知り合いがベンチャー企業に転職しているけど自分には無理だなと感じる。人との密度の濃さ、理想を掲げる人々、仕事の長時間化。 ダサくて地味でも保守的な会社の方があうきがしている。新規事業やら新し目の仕事をやったこともあって、ベンチャーも合うのかなと一時期思っていたけどそれは幻想だった。知っている人たちが転職していき話をきいていると自分には働くことに意味を見出せないし、ただ淡々とやれる仕事でそれなりでいいのかなと思うようになった。よかったなと思うのは、この数年で知っている人たちが辞めたりしたことでより現実を知ることができ、はやまった判断をしなくて済んだ。自分には何もないよなあって思う。何かに意味を見出すことなんてできないし苦しいだけ。

 いけるところまでいってやむを得ない事情ができたときには辞めるしかないとは思うけど、理想の実現、もっとやりがいを、認められたい、とかでは辞めないと思う。どこにいっても不満は残るので。

 

ブログを書きたい気持ちが減っている。

 ジムに行って運動している。休みでもいつもと同じ時間に起きて午前にジムに行くようにしている。そうすると何が起こるかというと早く起きて行動しているので時間が余る。余った時間で図書館で借りた本を読んだり録画していたテレビ番組を見ている。不思議なことに平日いやだなと思っていたことや転職したいなあと思っていたことがどうでもよいことのようになっている。ブログも書こうかなという気持ちが大きく落ちている。運動によってストレスが発散されているからだろうか。

 嫌なこと、感情が刺激されること、疲れがたまること、ストレスがたまっていること、ネガティブな時がブログをかきたくなる条件のようだ。

 

平日の夜プール。

 今日は帰りにプールにいった。だらだら泳いだり歩いたりする。平日の夜はそれほど混んでない。プールの中を歩いていると、もくもくと同じことを競争せずに一人でやることが好きだなあとふと思う。プール、ジム、ランニング。ただ黙々とこなす。家族がいて家に帰れば安心感があるから一人で何かするのが好きなんじゃないかなと思う。

 春ごろに体調が悪くなるので、それまでに痩せてみたらどうなるかなと思いついたのでやってみよう。

帰りの通勤電車。

 早めに帰れたので通勤電車が混んでいた。きっと世の中は残業なく早く帰る人が多いのだ。電車が満員で自分が窓に映る。隣の人もおっさんで同じぐらいの背なのに体が大きくお腹がでている。それに比べて自分はまだましだ。普段はよくわかっていないけど、比較するとよく分かる。そして周りの人も確認するとお腹がでている人ばかりだ。お腹がでていないのは若者たち。

 お腹がでている人が多いのは電車にのって会社に通うサラリーマンの特徴なのだろうか。たしかに体を動かす仕事の人は太っていない気がするし通勤電車にのらず自家用車を使っている気がする。体を動かす仕事についている人の方が幸せを感じるときいたことがあって、人間は運動しないと余分な栄養が蓄積され体調が悪くなりメンタルにも影響する。

 運動量を増やそうと考えていると会社の仕事なんてどうでもよくなるなと思う。

涼しくなってきた?

お昼休み、今日はいつもより涼しい。

また大人数の会議があってめんどくさい。最近は、会議中も音楽を頭でぐるぐると流していたり運動いつやろうかなと考えてたりする。いくつか会社を渡り歩き新規事業の仕事もやったことがあるせいか、会社というのはそこにいる人が仕事ができるできないという人の能力よりも、ビジネスモデルが今の世の中とあっているか、参入障壁が高いかという業界で給料の大きさが決まっているだけだ。極論、経営者よりも器が大切なのだ。

 会議でやっぱり気になるのは、おなかだ。ほぼみんなお腹がでていて、いつかまずいことになるのだろうなと思う。60代の人たちもいてはなしをきいていると、みんな生活習慣病から発生する病気なのだった。自らが仕事ができるんだというプライドを持ち、夜遅くまで働いて飲み食いをし寝不足になりお金をたくさんもらい不要な消費をしてお腹に肉をつけ生活習慣病になる。でものっかっている器がたまたまよいからとは考えない。これは幸せなのだろうか。

気がつきすぎるけど指摘しない。

 気がつきすぎて、色々先回りして考えて周りに伝えてしまうけど、手抜きをしたいので何もいうまいと決めた。そして気づいていてもいわないことにしていることが続いている。

 本を読んでいたら、細かなことまで気づくのは周りから嫌がられることもあるとのこと。確かに子供の頃からどうでもよい細かなことに気づいて神経質な心配ばかりしていた。気づきすぎるのは、リスクを減らすような仕事にはあっていてそれは最初に入った企業の仕事だった。でも神経質だから人と交流するのにとても疲れてしまっていた。

 すでに本を読まずに辿り着いていたけど、まわりには干渉せずきかれるまで何も指摘しないことが、まわりと自分にとってもストレスにならないのだった。色々、気づいたことをおせっかいながら指摘しまくると人は嫌がるのだ。気づいたことを指摘するのが誠実かというとそうでもない。ということが本で言語化されて遅まきながら自覚したのだった。

昼休み。

 まだまだ暑くてビルの中はクーラーで体が冷えているから外でだらだらして体を暖めている。いつもコンビニで食べるものを買うのだけど昼時間になるとかなりの行列になってしまう。だから早めにこっそり買いにいって出かける。

 仕事は経営者がやる作業を代わりにやっているだけで自分のアイデンティティには何も影響しない。大企業で仕事自体がアイデンティティになっている人をみていると何か中毒になっている感じを受けてしまう。これをこうしないとあとで困るといわれても、実は全く困らない。もちろん問題があれば指摘するけど、それを分かって実行するのであれば自分は経営者ではないから構わない。単に代行してかわりに給料をもらっているだけだから。

眠いです。

 とても眠い。帰ってきてから少し勉強してみた。ほんの少しだけ背伸びすればできることをやっている。昨日もやっている。ほんの少しだけをやることにした。

 食事以外は食べないようにするつもりだったけど守れていない。明日から守ろう。

 podcastで興味をひかれたコンテンツをきいている。ラジオや音楽を通勤の時にきくのが最近すきだ。

大きなことより小さなことを。

 台風により首都圏の交通が混乱。混雑する電車の中でぐるぐる思考。この状態やめたいのだけど苦痛から逃げたいのもあってぐるぐる頭が回る。本を読み頭の中で考えているだけの平凡な人間です。

 転職というのは人の会社にのっかっておこぼれをもらうことなので、それよりも事業を作っていくべき、でも事業をつくる、会社をつくるなんてことはだれにでもできるわけない。資格取得を頑張っている人がいる。でも役立たないとも言われる。資格に実務が伴わないし、レールの上を踏み外さず走れるかを試すものだから。しかし資格へ向けて勉強していること自体、やっていない人よりモノをよく知っているのではないだろうか。自分は誰かがレールをつくってくれた資格さえも、取れない。興味がないと継続できない。何かをやろうと決めても時間が経つにつれてやらない。事業を作って頑張れる気もしない。はたしてなにをしたらよいのだろう。これからの時代は、〜をすべきだとか、世の中が変わっていくから仕事がなくなる前に対応だ、とか、そんなことを気にしているより具体的な何かをやりながら過ごす必要があるのではないか。たまに図書館で借りて読むのは、抽象的なものばかりになっている時があってそれこそお経を唱えているだけ。

 そんなことを考えながら帰ってきて、やっぱり、どうでもよいなと思い、まずは運動して体力つけて、毎日小さなことで少しずつでも、できることをやろうと思い直す。大きなことを目指すより、簡単で実行できる小さなことを積み上げようと思う。

HSPの本を読む。

 HSPというキーワード。昔から神経質だったり疲れやすかったりする。HSPに関する本のチェックリストにあてはまる項目が多い。昔からあったんだろうなと思う。特定の性質で括って名前をつけている。全部には当てはまらないけどHSPの傾向が強い。人間を扱う仕事をやることはできるけどストレスが強くかかる。この理由は人よりも細かなところまで感じすぎるためのようだ。その反面、直感に優れ先を見通し熟達することができるという。一人か少人数でやる仕事で力を発揮する。

 社会人になってから働き出して多くの人を調整、管理する仕事になっていき、これは何かまずいと思って人に関わらない仕事に変えてきたけどよかったようだ。世の中の多数派の常識とよばれる思い込みによってほんとうによいのか分からない時もあった。このような本が複数でてきているのは多様性を認める方向になってきているのかもしれない。それぞれの人が特性にあったことを負担なくやれるようになるとよいなと思う。

本日の午前。

 

  • 散歩しながらジムへ。
  • ジムへ行って運動。
  • ジムから図書館に寄って家へ。
  • エアコンのフィルターなどを掃除。
  • スマホツイッターやチャットアプリを削除。

 

スマホの不要なアプリを削除した。しばらくツイッターやチャットをやらなかったけど問題なかった。ツイッターについては、ニュースやコメントだけ読んで発信はしたことがない。でも読んで刺激を得ることが中毒になっている気がして、暇になると次から次へと刺激を得たい、だから読むの繰り返しをしていた。この際、削除することにした。チャットは色々送ってくる人がいたけど、時間をかけて徐々にフェードアウトしておいたので反応しなくても問題ないだろう。

 今日はお昼寝せずに夜よく眠れるようにしたい。さて、掃除の続きと図書館の本を読もう。