ぼんやり

通勤電車の中でかくブログだった。

同じところばかり。

 移動は家と会社の往復が多い。仕事ではたまに出張がある。出張は日本国内で新幹線か飛行機を使う。でも仕事で行くと気分転換にはならない。もう1年ぐらい旅行していない。狭い範囲で暮らしている。だからからだろうか、解放感がない。もう少ししたら家族から提案されている温泉へ旅に出ようと思う。美味しいものを食べよう。基本受け身です。

静かに暮らしたい。

 図書館で本を借り読んだ。昭和の都内の事が書いてあり熱い時代だったんだなと思う。自分はただ、だらだらしてるのが好きだから熱さも何もなく昔から変わりません。学校でマラソンがあって3位になったことがある。目立ってしまったのでそれ以降はゆっくり走ることにした。そんなどうでもよいことを思い出してしまった。目立つということにエネルギーを使えない。つねに同じ量のやる気、熱気が出てこない。いまも同じだ。

仕事は60点で十分と思う。

  土日も夜も遅くまで働きつづけ会社にしばらく来なくなった人がいて原因は100点を目指していたからだと感じる。ただひたすら長く働いて、でも結果がでない。やり方が悪いのか、能力が伴わないのかはさて置いておき、そもそもサラリーマンの仕事で100点を取る必要なんてないんじゃないかと思う。たくさんやることがある中で、どれを先にやるかというのはたしかにあって、影響なさそうなものは、あぁ、忘れてました、で流す。それでもこなしきれない時は濃度を極端に薄める。薄めてこんなのダメだろと言われた時にじゃあどーするの?って進めればよいし先送りする。

 そもそもなぜ100点をとりたがるのか?人によくみられたい、自分というものを完璧な人間だと思っているからです。あの人はいい加減なところもあるけど、最低限はやるよね、ぐらいでちょうどいい。よくあの人はバカだとか、ダメだとか批判する人もいるけど、自分はそうは思わない。見えない理由があったり、実は確信犯で装っていたりすることもある。自分がそうだからだ。知ってるけど知らないふりをしたり、忘れているふりをする、だって究極、会社でやってる仕事なんてどうでもいいことだから。他人をバカと批判する人は自分が批判対象よりもすごいと思っているから批判できる。実際はすごくもなかったりするのだけど。

 嫌になったら手抜きしてサボればいい。サラリーマンは給料はゼロにならないのがメリットだ。あまりサボるとリストラされるかもしれないが、そんなのは仕方ない。サボらなくてもリストラされるときにはされるし、健康、メンタルがつぶれたらもっとまずいことになる。

 つぶれてしまうより、ごまかしながらでも少しずつ前進して、それでもだめならあきらめる。60点取れれば上等でしょう。

完全にやろうという思い。

  仕事において完全、完璧にやろうという思いがあっても周囲の環境、つまり他人と関係しながらやらないといけないので、うまくいかないことも多い。自分のせいではないけど理不尽なミスを被ることも当然のようにある。その時にあいつは許さないとか、自分は完璧なのにとか、こんなのは現実的じゃないとか、そんなことを思っているとメンタルを病んだり、衝動的に会社をやめてしまったりする。これは他人を観察して得られたことだ。

 理不尽だなぁとか思いながら、ま、仕事なんだから悪いこともあるし、できないこともあるよね、できないものはあきらめる。結局、クビになったら仕方ない、どうみられてもいいやという思いが救いとなる。会社で起こる演劇はほんとにどうでもいいしめんどうくさいな。

お昼休みに不動産投資の本。

 たまにお昼休みに外に出て小さな本屋にいくことがある。外に出るのはデスクワークばかりなので体を動かし気分転換する。これからの時期、夏へ向けてクーラーが入り体が冷えてしまう。外へ出ると暑いけど体が冷えているのがわかる。  

 本屋では新書のコーナーで立ち読みをする。最近では不動産投資の新書を少しだけ立ち読み。金融緩和、低金利によりサラリーマンの不動産投資が増えた。豊かに見えて裏では不動産投資による失敗で巨額のローンを抱え困っている人がたくさんいるらしい。不動産投資をなぜやるのか、それは将来の不安のため。不安を煽り不動産投資をすすめて契約する。読みながら頭の中でぐるぐると思う。

  •  不安は死ぬまで消えない。
  • 人を観察できるのは一面だ。

不安というのは、突き詰めれば死ぬことへの不安だ。不安というのはなくならないものなのだ。だから不安を解決するための安易な話はない。人は表面上は豊かに暮らしているように見えて、裏ではさまざまな問題を抱えている。一面から見ただけで人を判断してはならないのだ。  

 仕事にしろお金の話にしろ物の見方だけで解決するようなことも多い気がするなと思いながら面倒な仕事に散歩しながら歩いて戻るのだった。

もう学び終わりつつある。

 今日ふと、心の底からどーでもいいやと思った。どうにだって生きていける。しっかりやろうがてきとうにやろうが、なんて事はない。手抜きしても何を言われてもだからどーしたってこと。辞めてもいい。学ぶ事はもう吸収した気がしている。

代替不可能人材となる。

 過去に書いていたことがいま、まさに起こっている。全体から見ると人は取り替え可能にするべきだけど、個別で見れば取り替えがきかない方が労働者に有利になる。

  • 他人が分からないといっていること
  • やりたくないという人が多いこと
  • やり遂げるにはめんどくさいこと
  • 境目になっており誰もやらないこと

逃げずに取り組むと仕事は仕事を呼ぶので増えていく。増えた時に効率が良い組み合わせを考える。誰もわからない自然な複雑な組み合わせとなり、省略可能な部分が増える。省略を組み上げた人材はさらなる属人化が進み独自のノウハウが蓄積されていく。さすれば高い壁となって代替不可能な人材になるだろう。

人の調整。

 仕事の量が人の数よりも多い時、忙しいけど実は楽であって、人が余るときには苦しくなる。人が余ると余裕があるように見えて実は余裕がない。誰にでも仕事があるように分割することが大変になり、さらに仕事が増えず人が余る時には、いつか調整をしなければならない。ひとりで完結する仕事がしたい。

寝る寝る寝る。

 ご飯を食べてお風呂に入って寝る準備。今日は何もせず早く寝る。土日は甘いものを食べすぎた。目が疲れたのか肩こりしていて頭もすこし痛い。だから早く寝る。何もせず早く寝る。とにかく寝る。

不安定こそ自由。

 安定は知らぬうちに未来への期待を持たせ選択の幅を狭める。不安定は未来への期待をなくし判断に迷いがなくなる。選択に迷いがなければ自由度が増すように感じる。いま安定しており引き換えとして自由度がなくなっている。

土日のだらだら。

 朝、遅くまで寝床でだらだらして、午前は出かけず、午後からは家族に連れられて外へ。疲れと眠気が襲ってきて帰ってから外で買った甘いお菓子を食べ、そのまま横になって夕方まで寝てしまった。この土日でかなりの時間寝ている。寝てお菓子を食べての繰り返し。図書館に行く気力もなく読もうと思っていた本もあるのだけど読めず。なにもしていない受け身の気だるい休みだ。気温が上がってきて身体がついていけてない気がする。

疲れを寝てとる。

 午前スーパーへ歩いていき昼ごはんを外で食べたらとてもとても眠くなり家に着くなり昼寝。爆睡、長く寝て、もう夕方。ネガティブな考えになっていたのは疲れが溜まりすぎていたからだった。

 眠いと思っているときによく寝るとネガティブな考え方はとれるといまでは確信している。

 今週は頑張ったので、休みに和菓子のお饅頭も食べている。体重計には毎日乗っており、揚げ物などの外食が続くと増えていくのが分かるので上昇しはじめると食事量をコントロールして下降傾向にする。倒れるまで働くよりも手抜きでも細く長く毎日ごまかしながら働くほうがよほどいいのだ。平日の反動が土日にでておりしっかりといまは休んでいる。土日まで働いていた人が倒れていくのをみてきたからだ。

 連休明けから、毎日絶え間ないうちあわせばかりで疲れておりもっと手抜きをする時間と休みを混ぜないとまずいことになりそうだ。家で勉強しようと思っていたこともできていない。やる気の総量は仕事だけで売り切れているみたいだ。

凍りつく。

 どこの職場でも残業が多いのは特定の人になる。仕事は時間に対し際限なく広がり客観的に見れば生活のための残業である。

 残業ばかりで帰れないと悩んでる人がいたので周りに合わせず自分をコントロールすればよく、どうしようもなければ他の会社を検討すればよいと発言したところ周りが凍り付いてしまった。

 合理的な発言をすると場が凍りつくことがたまにある。とくに同じ会社でかなりの長い間過ごしてきた人たちは、他で働くという発想が全くないようだし、自分以外のせいにする甘えがある。発言には注意しているけど、たまに余計な一言を発すると周りがうろたえることがあって、なるべく話をしないようにしている。終身雇用を志向してきた古い大企業というのは、この点、なんだかなと思う。

ケ・セラ・セラ。

 今週終わり。忙しくとても疲れた。安定を目指すのか、不安定だけど自律を目指すのか考えさせられる出来事があった。どちらでもよいと思っている。

 今の仕事はたまに感謝されることがあって、それはそれで嫌だなと思うことと相殺される。改善を繰り返していくと作業となるので伸び代はなくなっていく。繰り返しやる作業は得意だけど、新しいことを学びたいという欲がある。

 中途半端な状態なのでどうするか周りの環境の変化に流されようかと思いはじめている。ケ・セラ・セラ。