ぼんやり

通勤電車の中でかくブログ

やる気は蒸発しやすい。

 

図書館で本を借りてくる。10冊借りて最後まで読むのは2冊程度だ。

 

専門性が高い分厚い本はやる気があるときに借りるけど、借りてくるだけで満足し、結局最後まで読むのはエッセーとかの軽い読み物だ。

 

やる気というのは蒸発しやすいものだけど、ま、いいかと思って暮らしてる。

音楽で思い出す。

 

電車で古い音楽をきいていると、なぜか思い出す。

 

あのとき大変だったなとか、思い切ってやってみようかとか、音楽をきいていた時代の断片。

 

人から見てよかったのかはわからないけど自分の中ではとても納得してる。

 

ぼんやり思い出してなんとなく幸せで、なんとなく寂しい気分だけど、それもいいなと思う。

内なるモチベーション。

 

他人からどうみられていても、どうでもよいけど、自分の中から湧き上がるモチベーションは抑えられない。

 

仕事でもこれはもっとこうしたら面白そうと思うと、誰に言われるでもなくアイデアを具体化したり、必要な知らないことをどんどん勉強してしまう。

 

あれだけ学校の勉強は嫌いだったのに自ら学ぶことには全く抵抗がないんだ。

趣味に時間を。

 

最近は趣味に時間をかけている。

 

孤独にコツコツやる。

何かに役立つとか考えない。

集中しない。

疲れを少しでも感じたらやめる。

一気にやらず思いつきをメモに書いておく。やれなくても気にしない。

 

読書の時間が減ったせいなのか、頭の中だけでぐるぐるまわることが減ったように思う。

 

ネットが発達して色々なことを簡単に知るようになってきたのだけど、情報が多すぎてストレスは大きくなってるのだなと実感で思う。

伝わらないこと。

 

経験があって先行きどうなるかが、わかることがある。でも伝えても周りには伝わらないし行動にはならない。

 

怒る?憤る?

 

まぁ、しかたないかと思う。わからないものはわからない。淡々と思う。

 

起こってから、あぁそーゆうことだったのかとなってもしかたない。

関東で雪

 

雪がふると交通が乱れる、足が取られる、嫌なことも多い。

 

でも、たまにだからこそ気温の低さ、雪をみるとワクワクしてしまう。

 

ちょっといい日だな。

大切にしている時代

 

あ、この人は受験時代を大切にしているんだなと分かる。

 

受験の時の成績の優劣、挫折の話題。よくこんなに年をとっていて受験の話ができるなと不思議に思ってしまう。自分の中でとても苦労したのか、輝く思い出なんだろう。

 

年をとってまで思い出すぐらい大変なものなのかな。私は受験なんて全く覚えてもいない。

 

都内で働くようになってずーと不思議に思っている。

もっともっともっとの罪悪感。

興味があることは、すでにだれにも強制されずやっていること。

 

年をとって感じる。

 

環境に無意識に沿ってしまっていたこと。もっと高度な難しいことをやらなければならない、もっと幅を広げなければならない、もっと、もっと、もっとの罪悪感。

 

でも残っていたのは自分が興味があったこと。役に立つ立たないは無関係に、興味があったこと、続けてきたことに時間をかけよう。

 

振り回されてきたなって思う。

人と付き合いたくない。

 

仕事でも組織や人の調整はやりたくない。やりたくないが人からみた評価は自分が思っているのとは異なる。

 

人と付き合いたくないのが本心だが、付き合いたくないからこそ誰とでも距離をフェアに置くからだろう。

 

仕事は演劇であり人には深入りしない。しょせん仕事、組織を離れればゼロリセットである。

 

専門家といういいかた。

 

働いているとよくある話だけど、たまに営業の売り込みがある。コンサルタント、専門家、技術者とよばれる詳しそうな人も同席でやってくる。

 

こんなことも、あんなこともできます。わかるようになります。役立ちます。専門用語を少し交えた説明をされる。でも自分の方が詳しいことが多い。どーしよかなといつも迷う。

 

結局、知らないことにしてしまう。へー、とかほーとか。世の中や他社ではどうなのか、の話は営業している人でないと分からないから参考にはなる。

 

専門家とはなんなのだろう。知識と経験の差を専門家というのだろうか。時間を特定の分野に絞っている人のことだろうか。

 

専門家とは相手次第で、絞り出す言葉を変えることができる人のことだと思う。でもそれは、専門家という言葉で表せない気もしてくるんだ。

 

 

選択肢。

 

選択肢を選ぶのが人生。選んで狭めて深くする。選ばなければ手に入らないものもある。

 

一方、深めれば選択肢が広がるものもある。

 

住宅ローンを背負うという選択。時間の先売りでよい家に住むことができる。かわりに場所は固定され、会社をやめにくくなる。

 

会社をやめられる選択肢をもつことは精神上とても大切だ。選択肢を狭め仕事の内容を深めれば他の働き口に変わることができるという選択肢が増える。

 

選択の時には、すこしたちどまって考えようと思う。選べるが花かな。

転職した人のうわさ。

 

サラリーマンも長くやっていると転職した人のその後もなんとなく風の噂できいたり、実際に会って話をすることもある。

 

うまくいったのかは、本人しかわからない。でもなんとなく感じるのは自分はできると思っていたことが、環境が変わると無力になることがかなりありうるということ。

 

例えば、たまたまそこにいて、たまたま予算があって、たまたま課題があり、たまたまプロジェクトを動かせた。それを自分の力だと勘違い。環境がかわるととても厳しい。

 

反対に人に丸投げせず実務がしっかりとできていた人はそれほど苦労していないようである。

 

置かれた環境を客観視するというのは大切だなって思う。いまうまくいっている、もしくは失敗しているのはたまたまなんじゃないかってね。

 

 

 

 

結論を客観視できるように。

 

自分が考えた結論が偏っていないかできるだけ検証を心掛けている。例えば極論にして本を調べる。賛成であれば反対のものを、反対であれば賛成のものを。

 

プライベートでも仕事でも両極の意見をあえてきくこと、調べることは、バランスをもたらし大きな穴には落ちなくなる。

 

これが年をとるということかな。

 

 

本屋をのぞく。

 

通勤の帰り、本屋をのぞく。ぶらぶら歩きながら本を手に取り読んで買ってみようかな。

 

でも、図書館から借りた本を読んでないなと思いとどまる。

 

この一年、本を買っていないのだけどなにも実害がない。

 

いまだに新しい本を買ってみようと思うのは、本を買う行為自体がストレス解消になっていたようで、癖が抜けていないみたいだ。

 

少し古いが数年前の本で私は十分なようだ。新しい情報を追いかけてることもストレスなんだよな。

2番じゃだめなのか?

 

なぜ2番ではだめなのか?と、どこかできいたことあるな、ふと思い出した。

 

学校で先生からなぜあなたは、1番を目指さないのかという説教。なぜ1番を目指す必要があるのか、そもそも2番ならば風を受けないメリットもあると反論した昔。

 

先生はあきれて、もういいと。

 

1番ならば利益が得られるという話。利益を得たからといって何なのだろう。利益を得るのがよいという前提は、前提として成り立っているのか。

 

そもそも順位なんて水もので、万物は流転するんだし、どーでもよいんだ。