ぼんやり

通勤電車の中でかくブログ

最近買った高い物。

 

高価な時計を持つのが趣味な人の話をきいたあと、もし自分が高価な時計を買いにいくとしたらという想像をした。

 

 事前にどんな時計があるのか、機能や価格を調べ、さらにどこのお店に行けばよいのか、そしてお店に行き、さらに実物をみて迷い、そして選択、購入を決める、あ、買った後はメンテナンスをどうすればよいのだろう、という一連の流れが頭の中を駆け巡り、アァ、これはまさに仕事じゃないか。自分にはできない。

 

きいたところによると高価な時計はかなりのお値段なのだ。最近、自分が一番お金を使って買ったものはなんだろう。枕の五千円。ちょっとよい枕。

 

お金の使い道は難しいな。

トラブルと原因。

 

トラブルは表面的な事象がまず発生する。表面的な事象から原因を推定していく。

 

種明かしされればなーんだということでも、表面的な事象から原因を掴むのはなかなか難しい。

 

逆に原因を隠して表面的な話をすれば意外性をもった話ができる。

年をとってからの勉強。

 

年を取ると頭に入らなくなり勉強するのには、若い時のがよいといわれる。

 

そんなことはないのではと思う。

 

若い時は迷いもあるし欲もある。なかなか集中して勉強ができた覚えがない。

 

勉強というのは与えられるものではなく自ら興味があることを知りたいという欲求でやるものだと考えている。

 

年をとるにつれ何に興味があるのかが、わかって来たのだな。

 

住所と番号。

 

他人の住所を管理していない。年賀状の住所をみればわかると思うからだ。

 

電話帳を管理していない。時が流れ関係が薄くなった人の電話番号は消してしまう。それが縁だと思うからだ。

 

時代の区切りの度に、数人しか残らない住所と番号。なんだか旅をしているように思う。

 

 

 

 

忘年会での孤独。

 

忘年会シーズン到来。

 

大昔、人間は自然に生命を脅かされ続けていた。食事を集団でとることで安心感を得ていたのではないかと思う。その名残がみんなで酒、食事をするということではないか。

 

忘年会の時、周りは騒がしくなるのとは反対にいつも孤独を感じる。面倒に感じてはいるが参加はする。

 

 振る舞いとしては、人は自分の事を他人に聞いてもらいたいという欲求があるので、質問をし、話をきくの交互を行う。もはや作業である。

 

 質問さえできれば、それほど面倒とは感じない気がする。毎日が忘年会ならば、嫌だけども。

 

 

おふだ。

 

私は若い頃、オックスフォード大学へ留学し外交官として働いていた。

 

なんていうのは嘘だ。

 

人間には目に見えないラベルがある。仮想でもあり仮装でもあるのだな。

昼寝。

 

毎度の昼寝。休みには昼寝してしまうことが多い。

 

夕方図書館へ行った。夕日がきれいだ。なぜきれいと感じるのだろう。自然は怖いものだよなと思いつつ歩く。

 

借りてきた本を読んで楽しむ。文字だけで楽しめるなんて、人間はすごいなって思う日だった。

年賀状、毎年準備が億劫だ。

 

年賀状準備の季節。

 

ネットの発達により個人情報に敏感な時代が到来、年賀状を増やす圧力は大きく低下。住所が出回らなくなったからだ。

 

でもネット発達以前の時代からの会社関係の人はいまだに年賀状をおくってくる人がいる。もう何十年もあってもいないのに。私は後出しすることがほとんどだ。

 

時が進むにつれ年賀状もなくなっていき、個人の趣味になっていくのだろうなと思う。

 

趣味にしては、なんだろう。もらうとよく分からない押しつけ感があるよな。ま、いいけど。

ついでに、たまたま。

 

なにかをやるときにはついでに、なにかできないかと、いつも考えてしまう。

 

固い言葉でいえば、効率的にというのだろうか。

 

たまたま、とか、ついでに。わかりやすいし自然に心がけてることだ。

あきらめてからがスタート。

 

あきらめるとは、投げやりになることではなくありのままの現実を見ること。

 

現実を見て一個ずつ片付けていく。

 

 一歩先だけを見ながら足を動かせば知らないうちに山頂につくはずだ。

全体感と個別。

 

全体感に対して文句や批評するのをきくと嫌悪感を感じてしまうのはなぜだろう。日本人はとか、会社はとか。

 

全体感みたいなものは個別の擦り合わせ。政治家や経営者が考えたり批評するのはよくわかる。まさしく当事者であって行動につながるから。

 

 当事者でもなく文句だけをいってなにも行動しないことに、嫌悪感を感じているんだ。関わりたくないなと思う。

その仕事、給料とみあってないのでは?

 

その仕事、給料とみあってないのでは?って。

 

勘違いしがちなのは一見単価が高い仕事ができるからといって、どこでも継続的にやっていけるかなのだ。

 

継続して仕事が得られるか、不得意な仕事も通しで込み込みで、できるか。

 

さらにニーズは変わっていくものだ。

 

自分は継続して仕事が得られる点をよいと思い会社に所属している。仕事を得られることに対して会社にお金を払い残りを給料としてもらっているともいえるかな。

 

 

心を水平に保つ。

 

すごいとか、よくやってるって。心がすこし波立ちいい気になりやすい。

 

こーゆうときに心掛けてるのは、丁寧に感謝を示しながらも、心に波をおこさないこと。感謝も心の中では演技のようにして気分を波立たせない。

 

外からのどのような刺激でも心を揺らさないことが大切だと思ってる。よいときもわるいときもね。

評論家たちとの会話。

 

人のことをあーだこーだ。知識があるない、経験があるやないやと。

 

人と関わるとどーでもよい評論が耳に入ってくる。

 

あぁそーなのですか。(心の中:どーでもいいけどね。)

なるほど理解できますよ。(心の中:同意はしてないぞ。)

 

こんな会話が多い。自分の中で閉じればよいのに、同意が欲しいのだろう。

 

人のことは興味ないから私のことはほっておいてくれよー。

 

 

平凡な一日。

 

図書館で借りた本を読みながら眠くなり昼寝してご飯を食べて風呂に入っての極楽感。

 

若い頃は汚い寮暮らし、隙間風が入る小さな部屋。洗面所、トイレ、風呂は共同。風呂まで、はるか遠く土曜日は風呂はなし。

 

部屋が暖かくいつでも風呂に入れるだけでたまらなく幸せだ。